なにを怖がっているんだい?-『檀流クッキング』
ああ、めんどくさいぞ、料理。
素材を集めて、分量を計って、火加減を調整して。
いわゆる料理上手な人ほど、迷いなくパッパッパッと手が動いていく。
プロセスを覚えているのではなく、「これとこれをこうしたら、こういう出来上がりになる」という料理の勘所を押さえているのだなぁ、としみじみ敬服する。
僕だけ、かも知れないけれど、初心者ほど"テキトー"が難しい。
手よりも先に頭がぐるぐる回り始めた時は、『檀流クッキング』を手に取るようにしている。
ほらほら、いいから飛びなさい、と気持ちよく崖から放り出してくれる感覚があるのだ。
流れるように、テンポよく、「こうして、こうして、こうすればほら、できあがり。うん、うまい」。
そんな調子で様々な料理が出来上がっていくもんだから、「あれ、料理ってこんなに簡単なの?」と思い込んでしまう。そしてそれは、錯覚じゃない。
包丁で具材を切っていくように、檀の言葉はサクサクとこちらの不安や気構えを削り取っていく。
『みそとアジとゴマの割合はどうするかって? どうだっていい。アジとみそを半々にし、ゴマを一割ぐらいのつもりでやってみてごらんなさい。』
信頼を置くべきは、レシピに乗っ取った過程ではなく、自分の舌だ。
自分がうまけりゃ、いい。
そんなシンプルな答えを、ともすると見失いがちになる。
自分のために、もっとわがままに料理と向き合おう。
まずは見て見ぬ振りをしていた、台所に積もったお皿たちと向き合うところからですね。